最近よく会う友人がいます。
その友人はクセ強です。
拘り
人それぞれ拘りはあるでしょう。
しかし、それを全面に出すか出さないかはその人しだい。
その友人は思いっきり全面に出すタイプ。
しかもその拘りに外れた人は「嫌い」となります。
極端なんです。
それでもイッサンはその友人に、「良いことは良い」「悪いことは悪い」をハッキリと伝えていました。
だって、拘りは人それぞれですから。

同じ集団
その友人が求めているのは同じ考え、同じ拘りの集団。
ハッキリ言わせてもらうと、そんな事は先ず無理でしょう。
例えば、車への拘りが同じであっても、食への拘りや睡眠への拘り、人間関係への拘りが人によって違うからです。
その行きつく先には、結局全てが同じ考え、同じ拘りの人には巡り合えず、「あいつとはあそこが違う」となって離れて行ってしまいます。
思い返せば、それを物語る出来事が数々ありました。

寄って来ては離れて行く
そんな友人。
あることに長けていて、その力を借りようと、数々の友人が頼ってきました。
そして、お願いされたことをやってあげるのですが、そこからなぜかみんな彼の前から去っていきます。
最近その事を思い出しました。
そして決まって、彼とケンカ別れになるのです。
理由はやはり「拘りの違い」。
その友人は自分と違う考えを否定したうえで、それをストレートに伝えます。
相手がどう思っていても関係ありません。
そうして一旦そうなってしまうと、ずっとその人の事を悪く言います。
それが何年経っても。

本当は可哀想?
最近その友人とよく会うイッサンですが、イッサンにもそんな拘りを振りかざしています。
最初は控え目でしたが、今はブンブン振り回している感じ(笑)
そんな友人を最初は「ちょっとめんどくせーな、コイツ」と思いました。
だから彼の周りには特定の人が残らないのかと理解。
それでもイッサンは、「良い物は良い」「悪いものは悪い」とハッキリ言います。
そうなってくると話は平行線で、「まぁ結局好みの違いですね」となります。
正直言ってお互いに嫌~な気持ちです。
でも、そんな友人のことを考えると、可哀想に思えてくるのです。
可哀想な人だなって。
意見の違いを認められず、自分の意見に同調する人しか受け入れられない。
そんな自分に合う人、この世に何人います?

十人十色そこから学ぶ
色々な意見を聞き、そこから色々な考えがあることを知り、良い面は取り入れる。
それが子どもの時だけでなく、大人になっても同じです。
それが成長ではないでしょうか。
停滞は後退。
イッサンはその友人の考え方を変えようとは思いませんが、他の人のように見捨てて離れようとも思いません。
お互いに時間があって、用事がある時、会いたい時には会う。
イッサン自身もその友人の考えから学べることがあると感じています。
その友人が人当たりの良いイッサンを見てたまに言います。
「あ~、イッサンさんのように振る舞えたら良いのにな~」と。
その友人も自分の悪い所に気づいているのですが、それを変えることが出来ないでいるのでしょう。
かと言って、その友人が完全に性格が悪い人間ではありませんよ(^^;
イッサンよりも年下で、気の利く子です。
でも、このままだと、彼は変わらないでしょう。
イッサンが接することで、彼の何かが変わって、もっと生きやすくなればな~と考えています。
〆
一般的には人間の性格は変わらないと言われていますが、アドラー心理学で言えば変われるのです。
その絶対条件は、自分がそれに気づくこと。
彼にそんな時が来ることを願っています。
皆さんの周りにもそん人がいませんか?
本日はこの辺で。
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