誰しもが一人は心の中にいる尊敬できる人。
「自分もあの人の様になりたい」そう思うのは自然なことではないでしょうか。
先ずは真似をする
人間は十人十色。
色々な性格の人が居ます。
尊敬できる人に近づきたいからと言って、直ぐにそうなれることはありません。
何かを決断する時に、「あの人ならこんな時どうするかな?」と考え行動し、コツコツと積み重ねて近づいて行く。
そうすると、必ずその人に近づけます。
「そもそも、生まれ育った環境が違うし、性格も違うから同じようには出来ない」って思っている方。
しかし、それは言い訳であって、生まれ育った環境のせいにしているだけ。
そう自分で決めただけ。
原因論と目的論
アドラー心理学で言う所の「原因論」というやつですね。
例えばこう言う事です。
過去に虐待を受けているAさんが居るとしましょう。
Aさんは言います「私は過去に虐待を受けたせいで不安で人を信用することができません」
これが「原因論」です。
そうではなく「目的論」で考えるのがアドラー心理学です。
「目的論」で考えると、Aさんの心理はこうなります。
「人を信用したくないから不安という感情を作り出している」と考えます。
つまり、Aさんは「人を信用しない」という目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情を作り出しているのです。
これがアドラー心理学では「目的論」と言います。
「いやいやいや、過去のトラウマの影響を強く受けることは当たり前やろ!」って声が聞こえてきますが、アドラー心理学はトラウマを否定しています。
いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック、いわゆるトラウマに苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである ~アドラー~
虐待を受けた出来事が人格形成に及ぼす影響がゼロだとはいいませんし影響は強くあります。しかし大切なのは、それによって何かが決定されるわけではない、ということです。
過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らを決定していて、人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであって、自分がどう生きるかを選ぶのは自分であるということです。
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僕が言いたいのは、生まれ育った環境で左右されるのではなく、自分がどうしたいのかは自分で決められるってこと。
それはどんな過去があろうとも。

地域の方が
長女ちゃんも入っている子供学級。
来月はその子供学級でスポーツをすることになっています。
そのスポーツの際に、手伝いをする大人が数名必要だそうで、誰か居ないか探しておりました。
その話を耳にしたイッサン。
直ぐに、「あの人なら快く手伝いに参加するはず・・・」そう思いつくと、自然と「僕、手伝いますよ」と声が出ました。
今日はその前準備の日。
子供学級を取り仕切るコミュニティーの方と、来月どのようなスポーツをするか決めていきます。
子供の意見も聞きたいとのことで、長女ちゃんと次女ちゃんも一緒に。
イッサン家の偏った考えで、何をするか決めても良いのか心配ですが(^^;
当日は、地元の高校生が10名程手伝いに来て下さるそうです。
面白いイベントになるよう、全力を尽くします!

〆
人の役に立つこと。
人に喜ばれること。
簡単ではありませんが、遣り甲斐のあることです。
皆さんは尊敬する人に近づく努力をしていますか?
本日はこの辺で。
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