現在アラフォーですが若い時もありました。
中学一年生でスケートボードに出会い、どっぷりハマり毎日スケートボードに乗る。
今思えばスケートボード中心の生活でした。
出会い
兄の同級生がスケートボードをやっていたのを見て一目惚れ。
そのカッコ良さ惚れてスケートボードを始めることに。
それからず~っと社会人になってからも続けていました。

アメリカに行くまで
丁度20年前に、初めての渡米。
それまでに、地元のスケートボードの大会を始め、県外なども含めると多くの大会に参加しました。
地元の大会では上位でしたが、県外、特に都会に出ると結果は思わしくありません。
でも楽しいので止めることなく滑り続けていました。
今思い返せば、沢山の仲間がいたからだと思います。
その仲間たちはそれぞれの道を歩み、今はスケートボードをやってない仲間の方が多いですし、殆ど会うことはありませんが、SNSの普及により近況も分かるし、何より皆と心はいつも繋がっています。
久々に会うことが出来れば声を掛け合い、昔と変わらぬ仲間の姿があります。
スケートボードやっていて良かった。
その中で、スケートボード発祥の地であるアメリカに行きたくなるのは当然の流れだったのだと思います。
アメリカの中でもどこにするか少し悩みましたが、先輩たちが何人か行っていたニューヨークにすることに。
資金とその後の収入確保
当時の勤め先を退職するのと同じくして、乗っていた車が高く売れたことにより、急にアメリカ行きを思いつきました。
高く売れた車がこちら。1987年式シボレー・エルカミーノ。

観光で滞在できるのは3か月間。
それから帰ってきてもお金に困らないように、ハローワークで失業給付の手続きへ。
自主退職の場合、退職してから3か月後に3か月間失業給付金が支払われます。
退職してからのからの3か月間のことを「待機期間」と言います。
グッドタイミング(笑)
退職後直ぐにアメリカに行き、3か月後に帰ってきたら失業給付金が貰える!
当時は失業給付の手続きもそこまで厳しくなく、待機期間中にハローワークへ行かなくても失業給付金が支給されていました。
今は条件が厳しくなり、待機期間中に何度かハローワークへ行って、仕事を探してますアピールをする必要があるそうです。
当時は時代がよかったのですね。
退職前にアメリカ行きのプランを決めて・・・そんなことはしませんでした!
何とかなる!との気持ちでアメリカ行きの往復チケットだけ購入。
航空会社はアメリカンエア。
価格は往復で10万円を切っていたのを覚えています。
直行便でこの価格はかなり安いです。
現在、成田→ニューヨークの直行便だと約14万円くらい。
なぜそんなに破格だったのかと言うと、僕が渡米する前年の2001年はニューヨークで同時多発テロ事件が起きた年だったのです!
しかも、テロに使われた航空会社がアメリカンエア。
そりゃ安くもなりますよね(^^;
退職後、離職票が届いて直ぐにハローワークで手続きをし、準備完了。
渡米資金→車の売却
帰国後の収入→失業給付金
準備万端!
出国前のひと時
出国前に東京で一人暮らしをしていた友人の家に遊びに行き、数日間楽しいひと時を過ごしました。
中学の時からの親友です。
彼は単身東京に出て、出版社で働き頑張っていました。
東京で友達はできても親友と呼べる友人は出来ず、悩んでいたようです。
そこへ僕が来たので、彼もとても嬉しかったのだと思います。
彼のバイクにまたがり、東京観光したり、食事や買い物をしたり。
彼の自宅で語り合ったのも覚えています。
楽しい時は一瞬で過ぎ去り、出国の日。
彼に成田空港まで見送ってもらい、いざアメリカへ。
アメリカへの憧れ
スケートボード以外にも、音楽は洋楽のHIPHOPやR&Bを聞き、車はアメ車に乗るなど、アメリカへの強い憧れがありました。
そんな当時の僕のテンションはピークに達していたと思います。
同時多発テロの翌年にテロの起きた航空会社を使い、テロの起きた都市へ。
危機管理能力の低さがうかがえます(笑)
それだけ何も見えていなかったのでしょうね。興奮のあまり(笑)
無事に飛行機へ搭乗しいざニューヨークへ。
次回は飛行機内とニューヨークでの生活について。
本日はこの辺で。
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