タイトル通り、長女ちゃんがある生徒同士のけんかの巻き添えになり、左足を負傷しました。
経緯
担任の先生から聞いた話です。
男子生徒と女子生徒のケンカです。
給食時間の前、些細なことがキッカケだったそうです。
お互いに机を蹴り合ってい、何度か机が倒れたました。
長女ちゃんはその時、倒された机を何回も起こして直してあげていたそうです。
その際に、男子生徒が蹴った机が近くにいた長女ちゃんの左足の小指と薬指の上に倒れてきて、床と挟まれて負傷。
骨折はしませんでしたが、足の指からは流血し、上履きが血で真っ赤に染まっていました。
左足の小指と薬指の皮が大きくめくれ、怪我をしてから6日たった今日も、傷跡は痛々しく、絆創膏を貼っていたも汁が出てきて直ぐに汚れてしまっています。
傷口が痒く、我慢するのも大変そうです。
ケンカしていた二人が倒した机を直してあげていた優しい長女ちゃん。
今回はとんでもない目に遭いました。
教訓は、誰かがケンカしているそばに近寄らない事ですね。
保護者の対応
男子生徒のお母さんが、本人を連れて謝りに来たそうです。
どの様な謝り方をしたのかは詳しく教えられていませんが、本人は反省しているのかしていないのか分からない感じだったそうです。
書き方からも分かるように、イッサンはその場にいませんでした。
学校からは、奥様にすぐに連絡があったのですが、奥様はイッサンには伝えませんでした。
ですので、いつも通り残業して帰った為、男子生徒と保護者の謝罪の場に立ち会うことは出来なかったのです。
奥様のその対応にも疑問が残っています。
それともう一つ。
一緒にケンカしていた女子生徒の保護者からは何の連絡もありません。
先生の方は、その事件が起きた後、直ぐに両方の保護者にも連絡したと仰っていましたので、知っていたけど何も連絡をくれなかったと言うことになります。
何が常識なのかはその方々の考え方に寄りますが、イッサンが思う常識で考えると、男子生徒も女子生徒も一緒になってケンカしていたのに、男子生徒とその保護者だけが謝罪に来ると言うのはどうも腑に落ちません。
もし逆の立場なら、仕事を休んででも怪我をさせてしまった生徒さんの自宅まで伺い、土下座をします。
そういう親の態度を見て、子どもは学んで行くのではないでしょうか。
自分の親が、自分のやったことに対してここまでしてくれている。
そう感じてもらう事で、自分がした行いの重大さを知る。
それが学びではないでしょうか。
イッサンはそう考えています。
奥様の意見
長女ちゃんのクラスは今荒れています。
15日は参観日で、その後懇談があり、更にその後はPTA役員の三役を決める会議があります。
そして会議が終わった後、17時から緊急の学年懇談が行われます。
その学年懇談の内容は、「これまでの経緯」と「安心して学校生活を送ることができるための話し合い」です。
その懇談でイッサンは「自分の気持ちを伝える」と奥様に言うと、「この場で言うのは止めて」と言いました。
おそらく話の流れで長女ちゃんの怪我の話も出るでしょう。
その時に、イッサンの気持ちを伝えたいと思っています。
別にその加害生徒や親を攻めようとしていう訳ではありません。
被害者側の親が、どういう気持ちで過ごしてきたか、何を考えていたかを伝えたいのです。
でないと、イッサンはこの気持ちをず~っと心の中で悶々と抱きながら生活を送り、その保護者はイッサンの気持ちを何も知らないまま、今まで通り付き合うのですから。
奥様の「この場で言うのは止めて」と言う気持ちも分からない事もありません。
穏便に済ませたいと言う気持ちも理解できます。
しかし、「相手を攻める」訳ではなく「自分の気持ちを伝える」だけであって、仮に相手に異を唱えたとして、そんな事で崩れてしまう関係なら、そんな関係なんて最初から結ぶ必要すらありません。
アドラー心理学の本「嫌われる勇気」にも書いていますが、「関係が壊れることだけを怖れて生きるのは、他者のために生きる不自由な生き方です」と。
そうなんです。人間は自由なんです。
わざわざ他人の物差しで生きることは無いのです。
他人の物差しで生きている人は、承認欲求の塊です。
承認欲求が強いと言うことは、自分で自分の道を選ぶのではなく、他人が「良い」とした道を選ぶのです。
すなわち、他人に支配された人生なのです。
イッサンは自由に生きる。
みんな自由に生きていい。
ただそれだけなんです。
〆
さて、この懇談がどういう結末になるのか。
イッサンは長女ちゃんの出来事以降、手持ちの本を読み漁り、自分なりの答えを見つけようと努力しました。
それでもまだはっきりとした答えが見つかりません。
何が一番良いのか、何が一番最善なのかは人それぞれ違うのです。
イッサンはそれまでに 努力を惜しまず、一生懸命に考えます。
と言っても、もう明日なんですけどね(笑)
今のところ、アドラー心理学の「嫌われる勇気」、デール・カーネギーの「人を動かす」、スペンサー・ジョンソンの「プレゼント」、ジョセフ・マーフィーの「欲望が100%かなう一番の方法」と言う本が役に立っており、その中に書かれてあることは、全く違う本でも一致していることが多々あります。
学校の先生は生徒たちを導くために日々勉強しています。
親である私たちは何もしなくて良いのでしょうか。
我々親が変わらなければ子供たちも変わりません。
我々親が学ばなければ子供たちも学びません。
子供は真似の天才です。
皆さんならこの様な状況でどの様な行動がとれますか?
本日はこの辺で。
コメント