スケートボードの始め方(後編)~上達のコツ

スケートボード

前回の続き。

毎日その公園に通いスケートボードを楽しんでいましたが、その中でも僕は一番下手でした。

 



充実感

その公園は中央公園と呼ばれていて、僕らスケーターの間では「チューオー」と言う愛称で呼ばれていました。

そこで毎日滑っていたスケーターは4名程。

他にも何人かいましたが、部活ではないので気が向いたときに滑りに来るのが当たり前。

先ず自分が必死に練習していたのがオーリーと言う、スケートボードに乗ったままスケートボードと一緒にジャンプする技。

僕はこれが基本の技だと思います。

この技が出来れば、色々な技に応用が利くようになります。

とは言え当時の僕は、それしか出来ないし、そのオーリーすらそんなに上手くありませんでした。

でも、それに関しては何とも思っていませんでした。

なぜかと言うと、スケートボードに乗っているだけで楽しかったからです。

下手であっても滑るのがとても楽しい。

上手くはなりたいと思ってましたが、みんなとスケートボードを楽しむことが最高に気持ち良かった。

そんな状態です。

学校が終われば毎日好きなことに明け暮れる。

それだけで日々は最高に充実してました。

中学生のころのイッサン。ヒールフリップ

上達のきっかけ

自分はどうやってスケートボードが上達したのか?

今考えると、こう思います。

毎日やってたから。

(笑)

でも本当にこれしか思い当たらないんです。

ある競技でこういう実証結果が出たそうです。

練習時間に比例して上達する。

何の競技の話かは忘れましたが、これを聞いた時僕はピンときました。

僕はこれに当てはまると。

中央公園に誰もいなくても、僕は殆ど毎日滑っていました。

それは純粋にスケートボードが楽しいから。

もうそれはどっぷりハマっていました。

スケートボードをやっていた時間が”練習時間”と言う呼び方をするのであれば、その時間は凄まじい時間時なっていたと思います。

みんなが色々な技を練習している中、僕はひたすらオーリーを練習していました。

間違いなく1年以上はオーリーしかしていなかったでしょう。

いつの間にかオーリーは高くなり、中央公園でも2番目の高さにまで上達。

え?1番じゃないの?と言う声が聞こえてきそうですが、そのオーリーが1番高い人”O(オー)”君、別格なんです!!

O君

僕より一つ年上だったO君。

バスケットボールもやってて運動神経はかなり良く、当時を振り返ってもその人並外れた運動神経の良さはスケートボードでも発揮されていました。

今から言うことは大袈裟ではありません。

O君、そのままスケートボードを続けてたら確実に日本でもトップクラスのスケーターになっていたでしょう!

断言できます。

当時、僕のオーリーの高さはスケートボードを10枚重ねた高さを飛び越せました。

こんな感じです。

高校生時代のイッサン。これは9枚重ねた状態

O君はなんと11枚重ねたスケートボードをオーリーで飛び越えます!

僕の限界は10枚。

たった一枚の差ですが、その差は大きく違います。

しかもO君、その11枚を飛び越える際、もう一枚分くらいの余裕がありました。

お手上げです(笑)

更に凄いのが回し技のレパートリー。

当時、いや今でも何というトリックの名前が付くのか分からない程凄まじい技をやってました。

O君オリジナルです。

言葉では言い表せませんが、僕の脳裏にはその凄まじい技の光景がハッキリと残っています。

中央公園のスケターの中でも群を抜いて上手かった。

そんなO君をみんなは別格の存在に感じていたと思います。

僕はその時初めて”天才”と言う言葉を身近に感じました。

O君の練習量

バスケットボールもやってたし、ゲーセンでのゲームも好きだったので、そんなに頻繁には滑りに来てませんでした。

それに天才ですので。

来るたびに皆を魅了する複雑なトリック。

そんなO君、いつしかスケートボードに乗らなくなり、中央公園にもあまり来なくなりました。

たまに愛車のSRに乗って顔を出しても、スケートボードは持ってこず雑談するくらい。

当時、何で辞めたのか聞くことは出来ませんでした。

でも僕はO君が来るたびに「スケボーやろうや!」って何度も誘いました。

勿論答えはノー。

笑いながら、「もう滑れんわ」って。

O君の中でスケートボードに対する魅力が無くなったのでしょうね。

天才ならではの、何かやりつくした感と言うか、先が見えたというか。

僕には分かりませんが。

オーリー大会県内1位

そんなオーリーの高いO君が去った為、僕が県内でのオーリー大会は連続で何度も優勝させてもらうことが出来ました。

複雑な心境ですが(笑)

当時、アクセスと言うスケートボードショップがあり、そこが定期的にスケートボードの大会を主催していました。

スケートボードを徐々に重ねていき、何枚の高さを飛び越えられるかと言う大会がオーリー大会。

上の写真が正しくアクセス主催の大会の様子です。

他にもストリートと呼ばれる技を競い合う大会の2種類の競技が行われていました。

僕も常連で、ストリートもオーリーも両方出場していましたが、ストリートは強豪も多く、上位をには食い込めても優勝するのは難しく、僕も優勝できたのは1回くらいだったかな?

オーリー大会の方はお陰様で毎回優勝。

これはやはり、スケートボードを始めたころに、基礎であるオーリーを1年以上も練習していた成果だと思います。

何事も基本は大事。

でも皆やりがちなのが、オーリーがちょっとできだしたら直ぐに回し技を練習したがります。

それでも良いのですが、僕はやはり基礎であるオーリーをしっかりと練習することをお勧めします。

出来れば毎日少しの時間でもスケートボードに乗りましょう。

一回のオーリーでも構いません。

毎日続けることが大切。

継続は力なり。

そう信じてブログも毎日更新しています(笑)

何事も基本を大切に。

本日はこの辺で。

イッサン

「イッサン」は保育園の時に友達から付けられたニックネーム。

アイコンは自作の煉獄さん。

可愛い三姉妹と奥様の5人家族。

長女ちゃん→中学2年生。難病の神経線維腫症1型(レックリングハウゼン病)

次女ちゃん→小学6年生。HSC,場面緘黙,母子分離不安症(小2で不登校気味→保健室登校→別室登校→現在は毎日登校して殆どの授業に参加中!)

三女ちゃん→いつもニコニコ元気な小学2年生!

趣味は読書と車とスケートボード。

人生を上手く渡ってきたつもりな1979年式の44歳。

経歴→元携帯電話ショップ店長、元スノーボード&スケートボードショップ店員、元中学校生徒指導員、元美容師etc... そして今は会社員。

21歳の夏、愛車エルカミーノを売り払い、単身ニューヨークへ。三か月間ステイして毎日スケートボード三昧の生活。そして翌年も渡米。そのまま突っ走るつもりが、今の奥様と出会い、暖かい家庭を築くことに。

そんな自分が会社員である違和感を抱えつつ、家族との愛を育みながらながら、育児に奮闘する毎日や趣味の事などを綴っています。

色々な経験を活かして、少しでも皆様のお役に立てる情報を発信できればと思います。

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