2003年、2度目の渡米。
2002年のニューヨークから丁度1年後、2回目のニューヨークです。
有言実行できました。
前回との違い
前回はタイミング良く車が高値で売れて、リッチな生活が出来ましたが、今回は一年で溜めることが出来た金額が少なかったので、長く滞在できて二か月って所です。
更に、2002年から今の奥様との交際が始まり、今回は奥様も少しだけニューヨークに遊びに来ることに。
色々と楽しい思い出が作れました。
出発前日
昨年亡くなった、僕の大好きなお祖母ちゃん(愛称かーか)と、地元の宇喜多輿太郎神社へお参りに来ました。
宇喜多輿太郎神社は、戦国時代の児島八浜合戦にて岡山の宇喜多勢と安芸の毛利勢が激突した際、毛利軍に押され、総大将・宇喜多與太郎基家は足を負傷し竹藪へ隠れたが、探しに来た毛利軍の武士に村人が居場所を教えた為、與太郎は捉えられてしまいました。その後村人が與太郎へのお詫びと供養と足の悪い人を救う為、宇喜多與太郎神社を建立。現在は足腰の病気を治す神様として信仰されています。
足の悪かった かーか はこちらへよくお参りに来ていました。
僕が二度目のニューヨークと言うことで、スケートボードでケガをしないようにと、一緒にお参りしてくれて、お守りを買ってくれました。
そんな大好きな祖母、かーかの話も後日したいと思います。
ありがとう、かーか。
出発
2003年6月12日。
準備万端。
彼女(現奥様)に空港まで送ってもらい、地元を出発。
今回も数日間東京に滞在してからニューヨークへ行くことに。
東京の友達に会うこともなかなか無いので、いいタイミングです。
空港に到着したら、友人がお出迎え。
そのまま友人宅へ行き夜は居酒屋で乾杯。
翌日以降は二人で渋谷をブラブラしたり、代官山で買い物したり。
渋谷のプラネタリウムでイベントがあるとのことでスケートボードをやってる別の友人と待ち合わせて一緒に遊んだりしました。
東京を満喫し、出発の日。
2003年6月15日。
少し友人宅を出遅れて空港にギリギリの到着(汗)
前日に遊びすぎました(笑)
友人に別れを告げて足早に飛行機に乗り込み、直ぐに出発。
日本の地を離れることに。
ニューヨーク到着
機内は前回とは違い狭く、あまり眠れなかったのを覚えています。
今回は前回ステイさせてくれたホセを頼り、日本に居る間にホセと連絡を取ってステイ先を探してもらいました。
結果、ホセの兄ウィルソンとルームシェアする事に。
ホセの家族、全員攻めました(笑)

現地で部屋を探す手間も省けて助かりました。
ありがとう、ホセ。
ウィルソンの家と言っても、ホセと同じマンション。
凄く立地条件が良く、便利な場所です。
直ぐにウィルソンの家に向かい、挨拶をして早速スケートボード。
初日の行動は?
前回のニューヨークでもお世話になった地元の先輩とブルックリンの交差点で滑ることに。
その日はとても天気が良く、ニューヨークが僕を歓迎してくれている、そんな気分で楽しく滑ることが出来ました。
その友達、DJをやっていてしばしばクラブでも回していました。
今は超有名なDJ KAORIさんがニューヨークに居たころ、DJの技を教えたこともある程の腕前!

書き忘れましたが、僕自身も前回のニューヨークでDJバーに遊びに行った際、一度だけDJ KAORI さんをお見掛けしました。
その日はDJをやりに来た訳ではなく、遊びに来ていた感じです。
夜は、そんなDJやってる友人の部屋に招かれました。
部屋はこんな感じ。

流石DJ!レコードの量が半端ない!
もう一人地元からニューヨークへ渡り、DJをやってた方がいて、その方にも凄く良くしてもらいました。
スケートボード
初日以降はスケートボード三昧。
前回知り合ったスケーターは、殆どみんな僕の事を憶えていてくれてとても嬉しかった!
SUPREMEで働くAKIRAも僕の事を憶えてくれていました。
やはりスケートボードは国境を越えることが出来るんだとしみじみ感じた一日。
今回も頻繁に滑ったのはマンハッタンにあるトンプキンススクエア。
住んでる所から超近く、プロスケーターもよく見かけました。
ココを拠点にスケートボードを楽しみます!
更に奥様が来るのも楽しみですね♪
本日はこの辺で。
第2話に続く。
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