母入院~気になる体調と対応

家族

乳がんを患っている母。

複数個所に転移していながらも4年が経ち、猫のでんちゃんと2人暮らしをしていましたが、ついに先々週、入院することになりました。

乳がんが右の脇の下辺りのリンパに転移して、右腕が動かなくなりました。

痛みもあるので、痛み止めを毎日飲んでいました。

母の様子~お彼岸にお墓参り
乳がんステージ4の母の様子について書いてみました。丁度お彼岸で、お坊さんが拝みに来てくれてました。墓参りにはしんどくて行けなかったのですが、顔色は良かったかな。

息子であるイッサンには心配を掛けまいと、「片手でもボチボチなら何とか出来るよ(^^)」と言っていましたが、腕の痛みもあり、家事が出来ないこのが増えていたようです。

入院

先々週、母の姉である「たまま」に春休み期間中で休んでいた三姉妹ちゃんの子守をお願いしていた水曜日、たままが来て教えてくれました。

「母さんがさっき入院したよ」

どうやら、腕の痛みが増して食事が摂れず、みるみる弱って行ったそうで、直ぐに病院へ連れて行くと、高カロリーの点滴をすることになり、即入院となったそうです。

お医者さんの話では、1週間から10日くらいの入院と言うことでした。

入院の知らせを聞いて、母にLINEしたのですが、流石にしんどくて返信できないようで、既読にすらなりませんでした。

コロナ禍で面会も出来ず、洗濯物を取りに行くたままですら会えません。

既読になり、返信があったのが10日後の日曜日。

LINEのスタンプで「おはヨーグルト」と「ありがとう」のみの返信でした。

一先ず安心しましたが、この時、スタンプしか返せないくらいしんどいのだなと感じた事を憶えています。

病院からの連絡

在宅ワーク中、スマホに一本電話が。

それは入院先の病院からで、「お母さんの病状について主治医からお話がありますで、急ですが今日の16時に来てください」とのことでした。

正直メッチャ焦りました。

もうヤバいのか?!と思い、直ぐに兄に電話すると、看護師をしている兄の嫁さんが、病院に母の病状の説明をお願いしていたよ言うことでした。

いや~、ホントに焦った。

せっかくなので、たままとイッサンの兄、兄の嫁の4人で病院に向かったところ、コロナ禍なので先生と話せるのは2人まで。

たままと兄の嫁に託し、イッサンは帰宅することに。

病状

兄に電話をして、母の病状を聞きました。

嬉しい報告が一つ。

「がんが他に転移している事もなく、この1,2ヶ月でどうこうなることは無い」

と言うことでした(^^)

そして良くない報告も。

「入院以来、食事は殆ど摂れていない」

とのことでした。

自力で食事が摂れないと、退院どころではありません。

翌日、たままが着替えを持って行く際、面会が許されたので、その時母と話をすることになりました。

入院以来、母に会うのはたままも初めて。

どんな具合なのか心配です。

母の意志

母と面会したたままから聞きました。

会話は普通に出来ていて、声の感じもそんなに弱り切っている風でもないようだけど、話している間は、ずっとベッドに横になっていたそうです。

たままが母に「2、3日でも退院して、やっぱりしんどかったらまた入院出来るから、退院してみる?」と話をしたそうです。

訪問看護、訪問介護の依頼もしているので、自宅で点滴を打つことも出来るし、イッサンの妹が帰って来て、一緒に居られるし、何なら看護師である兄の嫁さんが1週間くらいなら介護休暇使ってお世話できるよ、って話もしたそうです。

そのうえで、たままが母に「どうしたい?」と聞くと、母はこう答えました。

「できればこのまま入院しときたい」

母も病院にいる方が楽だし、安心なのでしょう。

自分が同じ状況になっても、同じ選択をしたと思います。

痛みもあるので、痛み止めの副作用による吐き気なんかもあり、その吐き気を止める為に、たまに看護師さんを呼んで注射してもらうそうです。

そもそもそんな状態なら、一旦退院して自宅に戻ること自体がしんどいですよね。

せめて自力で食事が出来なければ難しいですね。

今後ずっと入院するなら

母は乳がんのステージ4です。

このまま入院するなら、この病院にある緩和ケア病棟へと移る様になります。

以前より大学病院から、この病院の緩和ケアへ紹介状を書いてもらっていましたので。

今は普通の病棟ですが、緩和ケア病棟に移るとなると「ついにかぁ・・・」と言う気持ちになりますね。

まだ分かりませんが、多分その覚悟も必要なんでしょう。

覚悟するってなかなか難しいですね(^^;

面会

その日から、母への面会が許されました。

コロナ禍で面会が出来るだけでもとてもありがたいですよね!

しかし、病院側の決まりで、

  • 1週間に1回まで。
  • 面会できる人を2人決める。
  • 2人以外は面会出来ない。

と言うことなのです。

今後2人までしか面会出来ないとなると、母の姉であるたままは絶対に面会してもらいたいので、残るはイッサンと兄の2人をどうするかと言うこと。

難しい選択を迫られます。

とりあえずダメもとで、イッサンが病院に電話して、交渉してみようとは思います。

面会できる人数を3人にしてもらえないかと。

コロナ禍で無理を言うようですが、聞くだけ聞いて損はないですので。

母に気力があって、電話でもできれば会えなくても話は出来るのですが、その気力もなく、最近はテレビもつけず、横になっているだけだそうです。

先ほども書きましたが、LINEも既読になりませんので、しんどくてスマホを見る気力も無いのでしょう。

入院の2週間くらい前に会った時には大丈夫そうだったのですが。

一人暮らしだし、片手での生活だったので、ちょっとした体調の変化が色々と響いたのではないかと思います。

これはイッサンの完全なエゴですが、少しずつでも食事の量が増え、気力と体力を取り戻し、退院してくれたらと。

それはもう母にとってはツラくてしんどいだけなのかも知れません。

やはり一番は母がしたい様にすること。

そんな中で、自然と母に気力が戻れば・・・と都合の良い事ばかり考えます。

以前、大切な友人の母が亡くなった時、「出来るうちにしっかりと親孝行した方が良いよ」と言われた言葉が、今更胸に刺さっています。

人間って本当に都合の良い生き物です。

母の回復を祈って。

本日はこの辺で。

イッサン

「イッサン」は保育園の時に友達から付けられたニックネーム。

アイコンは自作の煉獄さん。

可愛い三姉妹と奥様の5人家族。

長女ちゃん→中学2年生。難病の神経線維腫症1型(レックリングハウゼン病)

次女ちゃん→小学6年生。HSC,場面緘黙,母子分離不安症(小2で不登校気味→保健室登校→別室登校→現在は毎日登校して殆どの授業に参加中!)

三女ちゃん→いつもニコニコ元気な小学2年生!

趣味は読書と車とスケートボード。

人生を上手く渡ってきたつもりな1979年式の44歳。

経歴→元携帯電話ショップ店長、元スノーボード&スケートボードショップ店員、元中学校生徒指導員、元美容師etc... そして今は会社員。

21歳の夏、愛車エルカミーノを売り払い、単身ニューヨークへ。三か月間ステイして毎日スケートボード三昧の生活。そして翌年も渡米。そのまま突っ走るつもりが、今の奥様と出会い、暖かい家庭を築くことに。

そんな自分が会社員である違和感を抱えつつ、家族との愛を育みながらながら、育児に奮闘する毎日や趣味の事などを綴っています。

色々な経験を活かして、少しでも皆様のお役に立てる情報を発信できればと思います。

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