スニーカーが大好きです。
ニューヨークでも沢山スニーカーを買いました。
スニーカー
スニーカーが流行しだしたのは1970年代後半。
それまで若者たちはキャンバス地や硬い革のスポーツシューズを好んで履いていたそうです。
スニーカーが一気にブレイクしたきっかけは、NBAが1976年にABA(既に活動していたもう一つのリーグ)から4チームを迎え入れ、それをきっかけに各靴メーカーが大々的に宣伝しだしたからだと言われています。
代表的なのは1980年代のNBAスター、マイケル・ジョーダンのスポンサーであるナイキが、ジョーダンをスポークスマンとしてバスケットシューズを発表し販売。
当時のエア・ジョーダンは、100ドルと言う高価な価格であったにも拘わらず、ショップの前には長蛇の列!飛ぶように売れたそうです。
そんな歴史あるスニーカー。
僕もニューヨークでしっかりと購入してきました。
買ったスニーカーたち

こんな感じです。
種類的には、特にナイキのダンクと言うモデルが多いのですが、その理由は僕がスケーターだから。
前列は全てダンクなのですが、買ったお店はスケートボードショップ。
当時から有名でしたが、1994年に誕生したSUPREME(シュプリーム)と言うお店で購入しました。
このSUPREME、今ではスケーターじゃない人まで着るほど有名なブランドに成長していますね。
逆にスケーターがSUPREMEを着るのが恥ずかしいくらい(笑)
そこで買ったこのダンクたち。
これはナイキのSB(スケートボード)シリーズと言う、列記としたスケートボードシューズなんです。
そのナイキSBシリーズの記念すべき第一作目となるのが、この最前列の左から3足。
とてもレアです。
そして、前列右から2足は更にレアなスニーカーなんです!
AKIRAとSUPREME
この2足、世界で256足限定何です!
買えたきっかけですが、当時スケートボードをする前に、毎日と言っていい程SUPREMEに行ってました。
そこには、AKIRA(アキラ)と言う、父がアメリカ人で母が日本人のハーフのスケターが働いていたのです。
AKIRAは沖縄生まれで日本語が達者です。
それに当時でもスケターとして有名だったので、AKIRAが公園で滑っているときに話しかけて、オーリーと言う技の高さ勝負を挑んでみました。
公園にある腰くらいの高さはあるゴミ箱にスケートボードを載せて更に高くし、どちらが先に飛び越えるか勝負しました。
僕は地元の県でオーリーの高さでは誰にも負けたことが無かったので、結構自信がありましたが、やはり世界は広いですね。
お互い、一回目は失敗。
AKIRA先行の2度目。
キレイに飛び越します。
後攻の僕は飛び越えた際、後ろのウィール(タイヤ部分)が当たってしまい、失敗。
軍配はAKIRAに上がりました。
僕はAKIRAに「凄いな!流石AKIRA!」
と言うと、AKIRAが「俺のデッキ(スケートボードの板)は新品で弾き良いから高く飛べただけ。イッサンもデッキを新品にしたら飛び越えることが出来たはずだよ!」
メッチャ良いやつやん!
ってなってファンになったのです。
このAKIRAとのオーリー対決は僕の一生の宝です。
とても良い経験になりました。
話は長くなりましたが、それからAKIRAのいるSUPREMEに入り浸るようになり、たまにAKIRAの家に遊びに行くこともありました。
AKIRAは今自身のブランド am(エー・エム、アフターミッドナイト)を立ち上げて頑張っています。
AKIRA、陰ながら応援してるよ!
NIKE SP シリーズ
このレアな2足、1足は友人がどうしても欲しいと言うことで売りましたが、もう1足はまだ大切に保管しています。
そのスニーカーはNIKEとZOO YORKと言うスケートボードブランドのコラボ商品。
何気なくそのスニーカーの値段を調べていたら、とんでもない値段で販売されていることを知りました!

1,987,000円!!!!!
実際にこの値段で売れるとは思えませんが、こんな値段がついていること自体に驚きました。
これ見て、うちのダンクに生存確認を行いました。

生存確認完了です!
インクが薄くなり見難いですが、当時のレシートもありました。

殆ど見えなくなってますね(笑)
ニューヨークで3か月間過ごし、旅費も含めて150万円程使いましたが、これで元が取れました(笑)
スニーカー投資
スニーカーの値段は恐ろしいですね。
先日のニュースで、ナイキがラッパーのカニエ・ウエストの為に1足だけ作ったスニーカーが1億9千万円で落札されたそうです。
今はスニーカー投資と言う言葉もあるそうで、スニーカーは単なる履物ではなくなっているのですね。
僕もスニーカー投資の投資家として大成功を収めました(笑)
皆さんも夢を買ってみてはいかがでしょうか?
本日はこの辺で。
コメント