人は生きて死ぬ~前職場のレジェンド永眠する

生と死

人間、いつか必ず訪れるのが死。

でも実際にはそんなに身近に感じていないですよね。

 



前職場と離職者

前職場のお話しから。

そこは全社員で100人未満の会社。

中小企業の中でも売り上げは良く、地元の周りの会社よりは給与水準も高め。

どこの会社にも良い所も悪い所があります。

その会社は離職率が高く、僕が勤務していた7年間のうち退職された方は正社員、派遣、パートを合わせて約60人。

離職率は60%くらいですかね。

驚愕の数字です。

創業100年以上ですが、僕のいた当時、営業部で定年退職を迎えたのはただ一人。

誰にでも向き不向きがありますし、人間関係によっても左右されます。

新人が辞めるのは良くありますが、中堅が辞め、課長が辞め、次長が辞め、部長まで辞める。

僕が入社した当初は社内を色々と改革しようとする若い社長が奮闘していました。

それを良く思わない人も多い感じを受けました。

そんな僕も色々あり会社(経営陣)が嫌になった時もありました。

結局、経営者と従業員は同じ方向には進んでいないので。

経営者は少しでもお金を払いたくないし、従業員は少しでも多く給料を貰いたい。

そんなもんです。

でも会社が嫌になって辞めたというよりも、今の会社からオファーを頂き条件的に良かったので転職したという感じです。

僕は当時あるチームのリーダーをやっていました。

メンバーは4名と週に何度か来られる障碍者枠で雇用されていた男性の方1名。

そのメンバーとはかなり息の合った作業が出来ていて、僕は職場史上最高のメンバーと位置付けていました。

そのメンバーも例外なく、一人、また一人と辞めていきます。

前職場のレジェンド

そんな会社ですが、70歳を超えるレジェンドと呼ばれる方がパートで在席されていました。

その方は中学卒業後その会社に就職し半世紀以上勤め上げた方です。

当時は注文された商品をリアカーを引き歩いて納品していたとか。

僕の在籍中も正社員並みに働き、時には朝早くから出勤して敷地の周りの草むしりをしたり、休日も殆ど毎日会社に顔を出し、少し作業をしたりと、その会社の事を本当に愛していた方でした。

当時はその方の技術伝承に付いて、社内でも会議をやっていました。

職人の技術伝承は薄っぺらな紙に書き残す程度では受け継がれませんが。

そんなレジェンド、僕は凄く大好きでよく話しかけてました。

時には朝早く出社してレジェンドの草抜きを手伝うことも。

うちの娘が難病である話をしていたので、気にかけて下さって「娘は調子えんか?」と声を掛けてくれたりも。

本当に仕事にはマジメで、休むことなく働き、パートの時間が終わってるのに自分の納得いくまで働く。

職人の鏡の様な人でした。

70歳を超えてましたので、耳が遠く、大きめな声で会話しないと聞こえませんが、他に悪い所は肺くらいと伺っていました。

本当に元気な方でした。

2人の子供さんがいらっしゃるのですが、長女は嫁いで県外に、ご長男は引きこもりになっていると伺っていて、昔は暴れるご長男を止めていたと言うことも教えてくれました。

楽しそうに、昔かった観音開きのトヨタ・クラウンでドライブに行った話もしてくれたり。

思い出いっぱいのレジェンドです。

前職場を退職した仲間からの連絡

昨日の夜です。

一軒のメールが届きました。

その方も職人気質で、スマホよりもガラケー派。

そのメールを開いた瞬間に目に飛び込んできたのは、

「悲しいお知らせ申し上げます。レジェンドが永眠されました・・・。」

前後には挨拶文が載ってましたが、それが目に入らないくらいのインパクトでした。

レジェンドが・・・。

最後に合ったのは丁度一年前。

家族でツタヤに本を買いに行った時の事。

レジェンドとばったり。

チノパンにボタンシャツ姿のレジェンド。

その時はお元気そうでしたが、レジェンド曰く、

「もうわしはおえん。耳も聞こえんし、数がかぞえれんようになってきた」

と笑いながら会話したのが最後です。

あの時の光景が最後か。

2021年5月27日木曜日。

レジェンド永眠。

享年80歳。

いつか会いに行こう

いつか会社まで行ってレジェンドに会いに行こう。

そう思っていました。

でも、もうそのいつかは来ることがありません。

人間だれしも、自分や自分の身近な人が死ぬことはないと無意識に考えているのだと思います。

どんなに歳を取っていても、どんな病気をしていても。

生きているうちに会い、話し、同じ時を共有しましょう。

昨年、最愛の祖母が亡くなったことを思い出します。

誰にでも死は突然にやって来るのですね。

でも、祖母が残してくれた言葉が僕の救いになっています。

「離れていても、いつも心は繋がっている」

レジェンドや祖母とはもうこの世では会えませんが、僕が生きている限り僕の心はずっと繋がっていて、僕の心に生き続けている。

ふとした時に思い出し、こんな時レジェンドならこう言うなとか、こんな時祖母はこう言うなと思った時、その時僕は心に生きていると感じます。

自分もいつかは死ぬ

その時がいつなのかは分かりません。

ネイティブアメリカンの言葉にこんな言葉が残っています。

あなたが生れた時、あなたは泣いていて周りの人たちは笑っていたでしょう。だから、いつかあなたが死ぬとき、あなたが笑っていて周りの人たちが泣いている。そんな人生を送りなさい。

最初にも言ったように、”自分”もいつか死にます。

これは確実です。

誰一人として例外なく。

その瞬間に後悔の無いように、生きていきましょう。

今生きているだけで、それだけで奇跡です。

いつか確実に死ぬ。

その事を直視し深く考えれば、今生きて過ごしている一日は、とても可能性に満ち溢れた瞬間に変わります。

自分が死ぬ瞬間、その人生に後悔の無いよう、日々大切に生きましょう。

レジェンドのご冥福をお祈り申し上げます。

レジェンド、またいつか会いましょう!

本日はこの辺で。

イッサン

「イッサン」は保育園の時に友達から付けられたニックネーム。

アイコンは自作の煉獄さん。

可愛い三姉妹と奥様の5人家族。

長女ちゃん→中学2年生。難病の神経線維腫症1型(レックリングハウゼン病)

次女ちゃん→小学6年生。HSC,場面緘黙,母子分離不安症(小2で不登校気味→保健室登校→別室登校→現在は毎日登校して殆どの授業に参加中!)

三女ちゃん→いつもニコニコ元気な小学2年生!

趣味は読書と車とスケートボード。

人生を上手く渡ってきたつもりな1979年式の44歳。

経歴→元携帯電話ショップ店長、元スノーボード&スケートボードショップ店員、元中学校生徒指導員、元美容師etc... そして今は会社員。

21歳の夏、愛車エルカミーノを売り払い、単身ニューヨークへ。三か月間ステイして毎日スケートボード三昧の生活。そして翌年も渡米。そのまま突っ走るつもりが、今の奥様と出会い、暖かい家庭を築くことに。

そんな自分が会社員である違和感を抱えつつ、家族との愛を育みながらながら、育児に奮闘する毎日や趣味の事などを綴っています。

色々な経験を活かして、少しでも皆様のお役に立てる情報を発信できればと思います。

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