今回はイッサンの仕事観と持論を皆さんと共有したいと思います。
前編である今回は、イッサンの半生の振り返り。
天職
皆さんは今やっている仕事が天職だな~と感じていますか?
天職とは、自分の才能を活かせる仕事であり、日々の生き甲斐でもある仕事をさします。
ある統計では、今の仕事を天職だと感じている方は、23%と2割くらいしかいません。
それだけ自分に合った天職を見つける、もしくは見つけようとするのは難しいというのが分かります。
イッサンは今まで、今の仕事が天職であると断言できる方と出会ったことはありません。
本当に天職なんてあるのでしょうか。
仕事とは
皆さんにとって仕事ととは何ですか?
この様な統計データがありました。
あなたにとって仕事とは何か?という回答で最も多かったのが「生活するため」が93%でした。
一生涯生活ができるだけのお金があれば、働きたくないということになります。
しかし、そんなお金を持っている人はそうそう居ません。
ということは、誰しもが仕事をして働かなくてはならないということです。
その仕事が天職で、日々の生き甲斐と感じている2割の方は本当に幸せなのだと思います。
会社勤めとなると、毎日最低でも8時間は働かなければなりません。
通勤やお昼の休憩時間などを入れると、1日10時間は拘束されます。
1日は24時間で仕事の拘束時間が10時間だと残りは14時間。
そのうち睡眠が8時間として残るは6時間。
その他、食事や入浴などを差し引くと、1日のうちに使える自由な時間なんてたった3、4時間しかありません。
つまり、1日のうちの「自分の時間」はたった3、4時間ってことです。
平日である月曜から金曜までは、ほぼ会社に人生を捧げていると言っても過言ではないでしょう。
イッサンなんて昨日は20時30分まで働きましたので、自由に使える時間は1時間もありませんでした。
毎日22時には就寝ですので(笑)
しかし、その仕事が天職だと感じている人にとっては、仕事をしている時間も自分のもので、会社に捧げているものではないはずです。
そんな方々は1日のうちの「自分の時間」が10時間以上あると感じられるはずです。
探し求める
イッサンは昔から「自分に合った仕事」を探し求めて転職しまくってます。
その「自分に合った仕事」が要するに「天職」ではないかと考えています。
イッサンが最初働いたのは、中学1年生の時のテキヤのアルバイト。
テキヤとは、お祭りに出店している露天商のこと。
友人たちと各地に出向き、ワイワイと働いてたテキヤのアルバイトは楽しかったです(^^)
そこから始まったイッサンの仕事ラビリンス。
高校生の時は進路委員会委員長でありながら、唯一就職が決まっていなという偉業を成し遂げ(笑)、とりあえずガソリンスタンドで働き始めました。
高校生の時から車に乗っていたイッサンは、そのガソリンスタンドの人達とは知り合いで、職場での人間関係は悪くありませんでした。
しかし、どこからかイッサンの時給が漏れて、他のアルバイトの方よりも高い時給で雇われたことを知られ、不満をもつ方が現われました。
自分がやりたい事ではないと感じてた仕事だし、仲が悪くなってでもやりたい仕事ではなかったので辞めてしまいます。
次に就いた職は携帯電話販売店。
そこではアルバイトで雇われ、正社員となり、店長まで上り詰めました。
そこでも人間関係は良好でしたが、会社がやっていたある不正をキッカケに経営が悪くなり、事業縮小の波にのまれ、イッサンのいる店舗は閉店。
九州事業部に転勤となった為、退職することに。
そしてプータローしていると、朝目覚めた枕元に求人のチラシ。
読んでみると段ボール箱などを作る工場でした。
見かねた母が置いてくれたのです(笑)
とりあえずそこに入社し、要領の良いイッサンは上長に気に入られ、イッサンよりも年上の先輩よりも先に機械の操作を任されることに。
そして、その先輩が退職すると聞き、これはイッサンが機械操作を任されることになったからだ察し、イッサンが退職することにしました。
もちろんこの仕事もやりたくてやってるわけではなかったので、その先輩にとっては何年も働いている職場であるわけで、よそ者の、しかもやる気のないイッサンがその会社にいるよりも、その先輩がいる方が良いと思うし、その先輩は不器用な方でしたので、辞めても次を見つけるのに苦労するだろうな~と思いました。
今考えると余計なお世話ですね(^^;
仕事を辞めて直ぐ、友人がスノーボードショップの求人を持って来てくれました。
そこには「スケートボードコーナー新設につきスタッフ募集」と書いてあり、面接に行って即採用。
スケートボードはイッサンにとって人生そのものでしたので、これは天職になるのでは?!と期待を膨らませんていました。
しかし、現実はそんなに甘くありません。
スノーボードやスケートボードのようなパイの小さいスポーツはなかなか儲からない。
オーナーが毎年スノーボードの仕入れの時期までにお金を工面する大変そうな姿を目にしていました。
まさに自転車操業。
日本でこの業界がここまで儲からないものなのだと思い知り、辞めることに。
面白い仕事ではありましたが、儲からないなら意味がありません。
そしてこの歳に渡米し、翌年も渡米。
帰ってきて仕事を探していると、「中学校の生徒指導員」の募集を見つけます。
1年だけ期限付き。
教育委員会に面接へ行き即採用。
派遣された先の中学校はヤンキーだらけ(笑)
ヤンキー達と仲良くなり、とても楽しい日々を過ごしました。
次にトライした仕事が美容師。
昔から興味があったので、挑戦。
「通信制の専門学校に通う費用を出してあげる」と母から言われましたが、その直後に父と母が離婚。
結局入学金の数十万は自分で支払うことに。
その後、美容師の安月給では専門学校費用が支払えなかったので、1回行ったきりで通わなくなりました。
要するに無免許運転です(笑)
約3年間働いた美容師は、ちょっとメンタルやられて「今日はお客さんと一言もしゃべりたくない・・・」って思うようになり、辞めました。
この続きは次回に。
〆
次回は美容師その後から。
ここまでのイッサンの半生のまとめ、いかがでしたか?
天職求めて転職を繰り返す日々。
その後イッサンはどうなるのか?
本日はこの辺で。
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