先日の読書会でも話題になりました。
見返り、つまり自分がやった事に対してのリターンについて。
読書会での話題
読書会も終盤の頃、話題はボランティアについて変わっていました。
イッサンがその話を最初にし始めたのですが、参加者の中には「自分はどうしてもリターンを求めてしまう」という方がいました。
昔のイッサンもそうでしたし、今の世の中それが当然の流れなのかも知れません。
イッサンが今こう思っているのも、今まで経験してきたことからこの様な考えに至っていますので、言葉で伝えても響かない事が多いと感じています。
人の役に立つ
以前書いたこの記事が参考になると思います。
この記事に出てくる「ギバー」と言うのが、ボランティアなどで無償で人の役に立てる人のことを差していると考えています。
他のブログでも書いたことがありますが、仕事が始まった理由。
それは、お互いがお互いの長所を生かし短所を補い合うために発生した行い。
その延長線上に「仕事」が生まれ今日に至ります。
ルーツを辿るとそこには「人の役に立つ」がしっかりと存在しているのです。
感覚で
これはイッサンの感覚ですが、人の役に立つことを意識し始めてから、生活が徐々に変化してきたと感じています。
色々なことが好転していくような感じです。
もちろんそれは大きく好転している訳ではなく、自分がやった分、徐々に徐々にといった感じ。
最近ではこんな考えも出てくるようになりました。
それは、何か良くない事が起きた時「人の役に立つ行いが足りてないな」という考えです。
そんな時は一番簡単に人の役に立てる「地域のゴミ拾い」をやってみたり。
良いことも悪いことも、イッサンの中では「人の役に立つ為のバロメーター」になっています。
偽善
「偽善」という言葉を聞いたことがあると思います。
では「偽善」とはどういう意味か。
偽善
うわべをいかにも善人らしく見せかけるとこを意味します。
あまり良くない表現に思えますよね。
更には「偽善ならやらない方が良い」という方も見かけます。
イッサンはその反対です。
「偽善からでも始めれば良い」と考えています。
偽善でも、人助けやボランティア活動などをやっているうちに、必ず「偽」が取れて行きます。
その行いが純粋に「善」となる時が来ます。
人の役に立つ事が気持ちよく、清々しく感じる。
その時は既に「偽」が無くなっている時だと考えています。
〆
とりあえず何でもいいので人の役に立つと思うことに挑戦してみる。
そこから始めて下さい。
イッサンと同じようにゴミ拾いからでも良いですし、道端で困っている方に声を掛けても良いでしょう。
スーパーで重たい荷物を運んでいるお年寄りを手伝うのもあり。
人の役に立てる事って世の中に溢れています。
人の役に立ち、人として生きて来たことを証明しましょう。
本日はこの辺で。
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